ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸
これは、第五福竜丸の絵本です。マグロ漁船第五福竜丸は、1954年3月1日、南太平洋マーシャル諸島沖で、アメリカの水爆実験に遭遇、死の灰にまみれながら、2週間かけて自力で母港焼津に帰り着きます。23人の乗組員のうち、最年長の久保山愛吉さんは、半年後に放射能症で亡くなります。
第五福竜丸の被爆と乗組員のその後の行動について、アメリカでは早くから科学雑誌に取り上げられていました。 その挿し絵を担当したのが、社会派の画家として高く評価されていたベン・シャーンでした。このできごとに深く心を動かされたベン・シャーンは、タブロー画の連作として、第五福竜丸と取り巻く人びとを、強く、温かく、自分の家族のように描きました。
それらの作品群は今、世界中の美術館や記念館に散らばっているのですが、日本在住のアメリカ人の詩人、アーサー・ビナードが、どうしても語り伝えなければならないという気持ちから、1冊の本にまとめ上げました。絵に負けない、磨きのかかった重い言葉を添えています。日本と、世界中の平和を願う人たちへの贈り物です。
久保山愛吉さんには、3人の娘さんがありました。上のみや子さんがまだやっと10歳くらいでした。 お父さんが亡くなる20日前の、みや子さんの作文です。
「家へかえられるようになったら、私たちをどうぶつえんにつれていってあげるよとやくそくして下さったおとうちゃんなのに、いまは私が『おとうちゃん、みやこ子よ』、と耳元でよんでもなんとも返事をしてくれません。あのじっけんさえなかったら、こんな事にならなかったのに、こんなおそろしいすいばくはもう使わないことにきめてください」
現実にはその後も、核実験は2000回以上行われています。地球というひとつの家の中で。そのことを、せめて忘れないように、この絵本を大切にしたいと思います。
ベン・シャーン 絵 アーサー・ビナード 文 集英社 1,680円 (2006年 ’平成18年’ 12月20日 118回 杉原由美子)