おとうさんの ちず
5年くらい前、「空とぶ船と世界一のばか」という痛快なロシア民話の絵本をこの欄でご紹介しました。今回は同じ作者ユリ・シュルヴィッツ氏による自伝的な内容の絵本です。
ポーランドに生まれたシュルヴィッツ氏は、幼い頃戦争で家を失い、両親とともに東方へ逃れました。絵本になっているのは、現在のカザフスタンで過ごしたころのできごとだそうです。
家族は、冬は寒く夏は暑い土壁の小屋に住み、毎日の食べものにもこと欠くありさまでした。ある日、お父さんが町へパンを買いに行きました。楽しみに待っていたユリ少年とお母さんのところに、お父さんはなぜかパンではなく、大きな世界地図を買って来たのです。がっかりするお母さん、怒ってお父さんを責めるユリ少年。お父さんは「どうせちっぽけなパンしか買えなかったよ」と言い訳をします。
翌朝、殺風景だった小屋の壁にお父さんが地図を貼ると、そこは色鮮やかな別世界に変わりました。その日からユリ少年の心の風景も一変します。初めて聞く地名の数々はそのまま詩となって繰り返し唱えました。運よく白い紙が手に入ったら、一心に地図を描き写しました。北の国、南の国、雪の山や砂漠、都会にそびえるビル街や果物がたわわに実るジャングル……。
ユリ少年は、世界のありとあらゆる風景の中で遊ぶことができたのです。そこにはひもじさも貧しさもありませんでした。一枚の地図がたくましい想像力を育て、厳しい現実を超えていく力を養ってくれたのです。お父さんは正しかった、と確信するユリ少年でした。
シュルヴィッツ氏は、戦後フランスで学齢期を過ごし、イスラエルで青年時代を迎え、ニューヨークに渡って画家としての一歩を踏み出します。東洋と西洋の区別のない独特の画風は、子どものころ芽生えた世界全体へのあこがれの気持ちから生み出されたのでしょう。
この時の地図は、当然のことながら現存していません。記憶を頼りに描き起こしたという地図は、私たちに馴染みの深い、アジアが中心の地図です。右端にはしっかりと日本列島が描き込まれていますよ。
ユリ・シュルヴィッツ 作 さくまゆみこ 訳 あすなろ書房 1,575円
(2010年 ’平成22年’ 4月21日 154回 杉原由美子)