ジュゴンの帰る海
ジュゴンは、草食であることと、そのずんぐりした体形と小さな目から想像できるとおり、やさしい穏やかな性質です。100年くらい前までは、奄美・沖縄地方で頻繁にその姿を見ることができました。
沖縄ではジュゴンを「ザン」と呼びます。この絵本は、沖縄の海にたくさんのザンがいた頃から始まります。
「ザンは神さまのおつかいだよ。大切に仲よくすれば、私たちを守ってくれる」
沖縄に生まれた少女マカトは、おじい、おばあからそう聞かされて育ちました。お父さん、お母さんは、マカトが生まれてまもなく、「うんと働いて稼いでくる」と南方パラオに出稼ぎに行きました。パラオは当時、日本の統治下にあったのです。
おじいは小さな舟を巧みに操って漁をします。マカトが乗っていると、「お元気ですか、私たちも元気です」と挨拶するみたいに、ザンの親子が近寄ってきました。マカトはつい、「お母さんといっしょでいいな」と思ってしまうのでした。
マカトの願いもむなしく、戦争は日本にとって厳しい状況になり、お父さん、お母さん、南方で生まれた弟とは、連絡が途絶えました。それどころか、沖縄本島が敵の船に取り囲まれて爆撃される日々が始まったのです。
「ザン、逃げてね、死んじゃだめ」
おじい、おばあと山に逃げながら、マカトは心の中で叫んでいました。不自由な避難生活の中で、おばあはマラリアに罹って亡くなりました。
幼なじみと結婚して初めての子どもが生まれた時、それを見届けたようにおじいも亡くなってしまいました。ふと、呼ばれたような気がして海に来たマカトの前に現れたのは、ザンでした。「おじいを迎えにきてくれたんだね」
ザンが要所要所に登場します。ザンが何か言うわけでもないのに、ザンの登場する場面がくるとぐっと胸が詰まります。ザンは人間と仲よくしてくれているのに、私たちのやっていることといったら…。
作者のお二人は沖縄県名護市にお住まいです。絵本創作にあたって、膨大な資料からこれだけはという場面を選び抜くのにどんなにかご苦労なさったことでしょう。ザンの帰る海が守られますように、祈っています。
浦島悦子 文 なかちしずか 絵 ハモニカブックス 1,650円 (2021年 ’令和3年’ 8月18日 281回 杉原由美子)