あるひあるとき
作者のあまんきみこさんは、もうすっかりおばあさんです。日本が戦争していた時のことをお話に書いて本にして、教科書にも採用され、有名な文学賞をいくつももらい、勲章だってもらいました。でも、きみこさんの戦争は終わっていません。この絵本も、あるひあるとき、どうしようもなく戦争の記憶がよみがえってきて、生まれました。
まだ幼稚園にも行っていない小さなゆりちゃんは、きみこさんのうちに遊びに来ていました。こけしをいくつも並べて遊んでいるうちに、ほっこり暖かくなってきて、うたた寝を始めました。その寝顔を見たきみこさんは、自分にもそんな幸せなときがあったことを思い出します。
80年以上も昔、日本とは海を隔てた大陸に、20万もの日本人が住む街がありました。中国・大連です。きみこさんは大陸で生まれ、子ども時代は大連で過ごしました。きょうだいがなかったきみこさんは、お父さんが日本で買ってきたこけしに「はっこちゃん」と名付けてどこへ行く時も連れて歩いていました。部屋には高価な市松人形や西洋人形も飾られていましたが、きみこさんの相棒はいつも「はっこちゃん」でした。
きみこさんの知らぬ間に大陸での穏やかな暮らしは終わっていて、敗戦、日本への引き揚げの日が近づきました。家財道具のうち、売れるものは売り、売れないものはストーブで焼却します。きみこさんは、お父さんお母さんの大切にしていたものがどんどん燃やされていくのを見ていました。
3日後には出発という日、お母さんがきみこさんにそっと言いました。「はっこちゃんは、つれていけないのよ」
なんともつらい一行でした。
戦争とは何か書いてあるわけではないのです。ただただ、戦争とは、愛しいものと別れることなのだと、伝えています。
私の祖母はまだ23歳だった長男をビルマ戦線で亡くしました。自分がその歳になった時、また、自分の子どもがその歳になった時、祖母の嘆きはいかばかりであったろうと、愕然としました。その気持ちは、あるひあるとき、唐突にわき上がります。いつまでも大切にしたい気持ちです。
あまんきみこ 文 ささめやゆき 絵 のら書店 1,650円(2023年 ’令和5年’ 7月23日 303回 杉原由美子)