ちいさな木
道ばたに木が一本生えていました。ちいさな木でした。クルマが通り過ぎると、よろけてしまうほどちいさい、弱々しい木でした。
ある朝、町のほうから一匹の犬がスタンスタンと走ってきて、木に話しかけました。「ぼく、ゴッチ。つなを食いちぎってね、家出したんだよ。これから自分の好きなところへ行くんだ」
「自分の好きなところ?」
ちいさな木にとっては衝撃的な言葉でした。「自分」も「好きなところ」も「行く」も。自分にはかかわりがないと思いつつ、なぜか「いいな、わたしもいきたい」と口にしてしまいました。
「じゃ、いっしょに来る?」
と言われて、「無理よ、動けないもの」と答えたのでしたが、ゴッチは「やってみなくちゃわかんないよ」と、ちいさな木の根元をガリガリやって、根っこを掘り出しました。「よっこらしょって動かしてごらん」言われてやってみると根っこが持ち上がるではありませんか。そしてなんと、イッポイッポと歩けるようになりました。
「行こうよ。君の名前は?」
「わたしは…キッコってよんでちょうだい」
名も無いみすぼらしい木だった「ちいさな木」は、自分の好きなところを探し求める旅人「キッコ」に生まれ変わったのです。
旅に仲間は付きもので、置かれた場所に固定されていると思い込んでいた岩と沼が、ゴッチとキッコの声掛けによって発想を大転換、ゴロンチョ、ポチョンチョと移動を開始します。犬と木と岩と沼が、スタンスタン、イッポイッポ、ゴロンチョゴロンチョ、ポチョンチョポチョンチョと意気揚々と行進する場面は圧巻です。作者のお2人の魔法のように巧みな話術・描写力によって、読者もすっかり旅している気分にさせられます。
そしてとうとう「ここがいいな」という場所を見つけます。
日当たりの良い広々とした原っぱは、ちいさな木と岩と沼には理想の場所でした。ただ、犬のゴッチだけは「ここは、ぼくの好きなところじゃないな」と、あっという間に走り去ってしまうのでした。
本の造りは、1940年代のアメリカ絵本によく似ています。僭越ながら、絵本の必要条件を十分踏まえている、と思います。それに加えて、新しいと感じるのは、登場人物すべてに人格が与えられていることです。安泰か自由かを選べる結末も、未来への希望を感じさせてくれます。
角野栄子 作 佐竹美保 絵 偕成社 1,430円(2023年 ’令和5年’ 11月26日 307回 杉原由美子)