春のわかれ

 今昔物語集から取材したというこの絵本は、「今は昔、村上帝の御代のことでございます」と始まります。 流れるような文体で千年の時をさかのぼり、京の都の左大臣家へと連れて行ってくれます。
 この家に美しい娘があり、望まれて帝の元に嫁ぐことになります。数ある婚礼道具の一つに、先祖代々伝わる硯がありました。帝も楽しみにしておられるほどの家宝の硯でした。ところが、こともあろうにこの硯を、召し使いの青年がうっかり割ってしまいます。恐れおののく青年にやさしく言葉をかけてくれる者がありました。嫁いでいく娘の弟君です。姉に劣らず美しく心やさしい若君は、見も世もなく泣いている青年を気の毒に思い、「若君が落として割ったのですと言うのだよ」と、咄嗟の知恵を働かせます。それが一番よい方法に思われたからです。そう、だれもが、この若君のように心やさしく純真であれば、きっとその通りだったことでしょう。
 結果は、思いもよらないものでした。逆上した左大臣は、てっきり我が息子の失敗と思い込み、「前世ではきっと敵どうしだったにちがいない。もう、顔も見たくない」と言って、家から追い出してしまいます。
 親元から引き離された若君は、ほどなく病の床につき、駆け付けた父母にも、とうとう本当のことを言わぬまま、亡くなってしまいます。
 左大臣が事件の真相を知ったのは、それからひと月余りのち、若君に庇ってもらった青年が、出家姿で現れたときでした。お手打ちを覚悟で詫びる青年に向かって、親としての不甲斐無さを思い知らされた大臣は言うのでした。
「あの子は、ただの人間ではなかったのだ。おおかた仏さまの生まれかわりであろう。生きて成人したら、どんなにか徳の高い人物になったであろうものを。それとも、あまりにけがれのない人は、この世に長くはとどまれないのだろうか」
 読むたびに胸を突かれるところです。事故であれ、事件であれ、若い人には死に急いでほしくない。まして自殺など論外です。きっと楽しい明日が来ると信じて生きてほしいです。

槇佐知子 文 赤羽末吉 絵 偕成社 1,680円  (2007年 ’平成19年’ 2月21日 119回 杉原由美子)

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