キューちゃんの日記
60年くらい前のこと、小学2年生のマリ子は、お父さんに連れられてしんせきのキューちゃんのお家に行きました。キューちゃんというのは、翁久允(おきなきゅういん)さんのことです。19歳で渡米し、波乱万丈の人生を乗り越えてきたキューちゃんを、マリ子のお父さんはとても尊敬していて、相談事をしたり、囲碁の練習相手になってもらったりしていたのです。
キューちゃんは、幼いマリ子にも面白い話をしてくれたので、「それ、日記に書いてもいい?」と聞いたら、「おお、ムスメは日記を書いておったのか」と、自分の若いころの話を始めました。
小学生の頃から勉強熱心だったキューちゃんは、難しい試験に受かって町の中学校(現富山県立富山高校)に入学、親元を離れて、寮生となりました。文章を書くことが好きで、友だちと文集を作ったり、まめに日記をつけたり、充実した学生生活を送っていました。
事件は3年生の1月に起きました。「○○先生は厳し過ぎるから、先生の宿直の夜、寝床に臭いモノをまき散らして懲らしめてやろう」という計画を立て、8名のチームで実行に移してしまったのです。
その鮮やかな手口に犯人捜しは難航、外部侵入者の仕業として一件落着になりかけたのですが、日露戦争中という緊迫した世情がそれを許しませんでした。突如寮生の所持品検査が行われ、キューちゃんの日記も押収されました。日記には、計画から後日談に至るまで事件の詳細が書かれていました。
絶体絶命というのはこういうことを言うのでしょうか。1905(明治38)年1月31日、キューちゃんは不本意ながら、退学することになってしまいました。満16歳の時でした。
キューちゃんの思い出を聞いて、マリ子は複雑な気持ちになります。「日記を書かなきゃよかったのに」とか。でも、キューちゃんは、「正直が一番なのじゃよ」と穏やかに答えるのでした。
没後50年になるキューちゃんは、なぜか富山高校をちゃんと卒業したことになっていて、「翁賞」という、地道に頑張る学生や研究者を顕彰する賞も「翁久允財団」から毎年授与されています。
ごく身近なところに卒業生がいたのでインタビューを試みました。「翁賞ってあったんですって?」「あー、あったあった」「あなたの卒業した年はだれがもらいましたか?」「えー、全然覚えてない、あはははは」
不毛な問答になってしまいましたが、自由と個人の尊厳を大事に生きたキューちゃんの、後輩の一人であることは確かです。
室井滋 文 長谷川義史 絵 北日本新聞社 1,650円(2024年 ’令和6年’ 1月28日 309回 杉原由美子)